昨年7月に取り組んでいた『地上最強の商人』の45週間を無事にやり遂げていましたが、やり遂げた達成感に浸っているうちに検証しそびれていることに気づき、前回から引き続きの検証結果をまとめています。
税理士との面談に行った後のこと
結局、義両親を交えての面談は実現しませんでしたが、私と夫で予定通り税理士事務所へ面談を受けに行ってきました。
弁護士もそうですが、自分にマッチする士業の先生を見つけるのは本当に難しく、法律事務所にいるからといって、自分に合う先生が優位に見つけられるということでもありません。
不動産投資でアパート経営を勧める広告や書籍があふれていますが、株式投資に慣れてしまっていると、不動産投資などというのは大変面倒で厄介な投資対象にしか見えず、義実家に行く度に『手放さないんですか???』と常々アプローチしていたほど。
不動産余りが叫ばれる2030年問題のこともあるし、今日も仕事でとあるアパートの住人さんが家賃滞納をしている関係で裁判所に申立をしていた建物明渡しの強制執行手続きのために、弁護士から命じられイソイソと提出書類の準備をしていたところですから、こんなことをプライベートでもやらなきゃいけなくなるとか無理でしょ…
そんな面倒な不動産投資を夫が相続するような事態になったら、結局周り巡って私のところへ降りかかってくることを考えると、私にとっても税理士と繋がりを持つことはメリットが大きいのです。
税理士に顔を売り、我が家の現状と義実家で今後予想される相続時に気をつけるべきことを相談しながら面談を終えました。
面談を終え、今回のドタキャン騒動でほとほと義実家との付き合いに嫌気が差した私は、夫からの願いでもあったので、金輪際子供たちを連れだって義実家に足を運ぶことは止める決断をしたのです。
お金ではなく自分の価値を100倍にするために
義実家を敵に回すということは、あまりいい実例ではないかもしれません。ただ、日本では未だに根強く嫁というものは嫁ぎ先に対して従順であれというような風潮もあるし、お嫁さん自身がへりくだって嫁ぎ先へ気を遣わなくてはならないと思っている背景もあります。
私も結婚して10年は、それなりに義実家内で粗相のないようにバランスを取ってきました。が…
並々ならぬお金への執着&執念が税理士面談の一件以後も露見して、最終的には逆恨みされたりもしつつ、義母からの執拗な嫌がらせを受けることになるのですが、その間に私が読んでいた地上最強の商人第3巻の中で「私の出会う不運の数々は、明日の幸運の種を私に運んでくる」という一節があり、日々繰り返し音読しながら、義実家との諍いの先にある幸運を思い描いて、爽やかにこの直面を切り抜けたのです。
私自身も我が家も、お金をちらつかされても心動かされることはなく、日々穏やかに過ごすことに多大なる影響を及ぼしていたのだと、振り返って思うのであります。
義母にとって最大の価値におかれているものがお金だとしても、夫や私にとっての最大の価値は自分たちにあり、事業を営んでいるわけでもない私が地上最強の商人に取り組むのは自分の価値を100倍にするためであると心に刻んだのでした。
第5巻とともに乗り越えたある試練
第5巻の内容については以前の投稿でも少し触れましたが「今日が人生最後の日であると心得て生きる」ことの大切な考え方について書かれています。
当たり前に今日を過ごし明日を迎え、昨日を振り返り1週間が過ぎ1ヶ月が過ぎる中で、誰しもが当たり前に過去と現在と未来に思考を巡らせています。
老後の年金問題に不安を覚えるのは未来についてですし、やらずの後悔は過去についての悔いでもあります。今日現在、どこも痛むことなく昨日と同じ時間を過ごせることの素晴らしさ、そしてそれは奇跡でもあること。
そのような教えが織り込まれていたのが5巻でした。そんな中、生前対策を棒に振ってしまった義父が滅多に訪れることがない我が家を訪問してきたのです。
数か月ぶりにあった義父は以前と何ら変わることはなく、元気な様子でした。もともと、義父と夫の関係は良好であったのですが、義母の味方についたようにみてとれた義父のことすらも拒絶するようになった夫は、歓迎するどころではなく居留守を決め込む決断をしました。
孫である我が家の長女だけが、久しぶりに会えたおじいちゃんに近づき、どうしたのかと声をかけると、衝撃的な報告があったのです。
「おじいちゃんね、胃がんでステージ4だったから、もうあと数か月しか生きられないって」
見た目からは全然想像もつかず、いつも通りの義父の姿でした。小学3年生だった長女は、どう反応していいか分からず、長女に付き添っていた私も予想外の報告だっただけに言葉を失いました。
それから4ヶ月後に義父は本当に逝ってしまいました。義母は、入院先の病院へ最期に孫たちを連れて面会に来るよう息子である夫に伝えていましたが、夫の意思は固く最後の最期まで父親を見ることはありませんでした。
決裂した税理士面談の一件の際に、「金輪際二度と我が家は顔を見せることはない。相続も放棄する」と宣言し、義両親も「それでいい。何があってもお前達の力は不要。孫達には会えないのが残念だけど、可愛い盛りのときにずっと一緒にいられたから、もう十分」とまで言い放っていたのです。
売り言葉に買い言葉でもあったでしょうし、本気でそう思っていたようにも思えます。ただ、その時の義両親(特に義母)にとって、まさかこんな結末が待ち構えていたとは思ってもいなかったのでしょう。