定年前にしておきたい5つのこと

今年9月の誕生日を迎えると50歳になります。私の職場では、今のところまだ60歳定年とされているため、定年まであと10年という心づもりでいます。が…

10年経ったところで長女は21歳、次女は19歳、長男は17歳という状況です。夫は同い年なので、ほぼ状況はかわらず。

今どきの60歳は大病を患ってなければバリバリの現役として活躍されているので、定年退職したとしても働けばいいのですが、就職先のあてがあるのかどうなのか…

再雇用という制度もなく、そもそも今の職場の存続があと10年あるかどうかも危ぶまれるところなので、日々私は自分の身の振り方についてアレコレ思いを巡らせているわけですが、巡らせていても行動していないから全くもって不甲斐ない。

それでも40代最後の夏を迎えながら、定年前にしておきたい5つのことを考えてみました。

①骨から整える健康管理をする

ママ友としての繋がりのおかげで、自分より年下の友達がいます。「ママ友」というよく分からない枕詞が取れて、いまは信頼のおける友達として付き合っている一回り下の友達の職業は警察官です。

彼女は育児や家事をワンオペでしながら、業務の一環で合気道の大会に出場するための稽古に励む一面もあり、常に頭脳と体力と精神が研ぎ澄まされており、更に女子力を高めるための日夜、美容情報を収集し日を経るごとに美しくて目映い輝きを放っているステキ女子なのですが、その彼女から「まずは筋膜をほぐすのが基本です!」と圧高めに教えてくれたのが、ユミコアダイエットです。

体重を気にするのではなく、体型を整えていくことを重視するメソッドを展開しているのがユミコ先生。TVでもよくお見かけします。

女性は閉経期を迎える40代後半から骨粗しょう症の懸念もあり、ホルモンが放出されている今のうちからしっかりと骨と向き合っておく必要があるのではないかと。

お金があっても時間があっても「膝が痛い…腰が痛い…」と、どこかしら痛みを訴えるなんてナンセンスなので、筋膜はがしから始まりボディバランスを整えながら、食生活と向き合って良い習慣をつけておきたいと思いました。

②計算力とデータ分析力を身につける

数字というのは生きていく上でとても重要です。子ども達の宿題や家庭学習に付き合っていると、読み書きそろばんを当たり前に習う義務教育というのは本当にありがたいと思います。

学校教育の是非については色々と問われていますが、読み書きそろばんという面においては低学年から始まり4年生頃までの知識を完全に身につけることは、必須だと夫と2人でよく話しています。

私自身の学歴は高卒ですが、父は早稲田の政経で母は信大を卒業してから定年まで小学校教諭をしていました。脱サラした父は、私が誕生し物心ついた時には個人事業主としてコンサル業を営んでいましたが、多角的に数字を読む力があると事業にも投資にも役立ちます。

IT化が進んだことで世界中で膨大なデータが蓄積されていく今、データ分析は無くてはならないものであると、Googleデータアナリティクス講座を受講していた際に講師陣が述べていました。AIの導入があれば分析など人が関わらなくとも済む話になりましょうが、データといえど取扱いについて、そう簡単ではないものだというのはこの講座で学びました。データ分析力が身につけば、ただの事務職よりももっと面白みが出て来そうなので、仕事の合間に習ったスキルをモノにしていきたい。

③英語力を身につける

20代の中頃に1年間ワーホリでオーストラリアに滞在していました。その頃は、英語で寝言を言うレベルまで仕上がっていましたが、言葉は使わないとどんどん話せなくなってしまいます。

いまは、英語圏ではない知人とWhatsAppでやりとりする機会があったりするのですが、テキストを送信する際にはGoogle翻訳を使ったりするので、本来の英語力は減退の一歩を辿っています。

都内至るところで海外旅行者を見かけますし、自宅近くの最寄りでも沢山の外国人を見ます。SNSで繋がりを簡単に持てる機会も身近にあるので、英語力はいつまでたっても磨く必要があります。

④日本人を極める

日本で、日本人として生まれることが非常に特殊で珍しい運命だということをある日のインスタ記事で読みました。日本人として生まれる確率は、全世界人口の中で1.5%とか。もっと詳細なデータだったと思いますが、日本にいると日本人としての特殊性はあまり気に留めることはありません。

いまの日本の政治や経済力をみていると、諸外国との比較をする上でついついうつむいてしまいたくなるような気持ちになりますが、本来この恵まれた国の国民として生きることは非常に幸運なことであるということに気づかされました。

外国の方とやり取りする上でも、海外へ足を運ぶ際にも母国についての知識と誇りをもっているといないとでは、自信の持ち方が全く異なると思います。

塗りつぶされた歴史や歪んだ価値観を一旦ゼロにして、本来の日本人が持つ素晴らしさや弱さを再点検していきたいなと、子供と一緒に教科書を見ながら感じるところがありました。

学ぶことの面白さとして、自国のことを深く掘り下げることは決して無駄ではないし、子供が結婚し、孫が生まれていくような命のリレーが続いていくことを見越した考えが芽生えてきたのは、やはり50代が目前になってきたからかもしれません。

⑤経済力を身につける

就労していても、いつ何時その地位が崩れるかわかりません。子育て世代として付き合いのある周りのご家庭は持ち家であることが多く、みんなとてもステキで立派なお住まいです。お掃除も行き届いていて、共働きなのに本当に尊敬しています。

ですが、口には出せない心配な部分も正直ありまして…

皆さん住宅ローンを組みながら「不動産は資産。賃貸は資産にならないから買った」と口々に言っているので、賃貸暮らしの私としては居づらい場面でもあります。たしかに不動産は資産としての価値があり、自己破産をする際には資産としての扱いになりますが、ローンを払っている以上は資産というより負債です。

そのあたりの解釈はベストセラー本になっているロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん 貧乏父さん」に書かれていますが、給料のように毎月口座にお金が入金されるのでなければ、賃貸も持ち家も価値としては変わりません。何なら、持ち家のほうがローンを抱えているという点で借金となりますから、いくら節約して貯金を殖やしたところで、ローン残高がゼロにならない限りはむしろ負債です。

自己破産に至ってしまう人々の背景には、少しの贅沢をしたがために住宅ローンのある家計が圧迫されてというケースが多々あるのを見てくると、不動産を資産と捉えて無理な住宅ローン(最近ではペアローン)を契約した後に「貯金が全然貯まらない」と嘆いているママ友たちの会話を耳にしながら、借金を持たないことの大切さを痛感しますし、会社員としての身分ですら絶対的な安心感というのもありません。

ただ、日本という国の労働者と賃貸不動産でいうところの賃借人は法律で固く守られているので、その権利を使えるうちに次なる経済力を身につけておかなければ、健康的で楽しいこれからの人生にならなくなってしまいそうです。

先日、友達に勧められて映画『国宝』を観てきました。歌舞伎の世界については完全に無知で、伝統芸能の一つであるという認識しかありませんでしたが、歌舞伎で身を立てること人間国宝として認められるということ、伝統を受け継ぎながら受け継がせること、長く続けていくことの大切さ、そして日本ならではの美意識を大きなスクリーンから学ばせてもらいました。

行動を起こせるうちに色々と実践していく10年にしたいと思う40代最後の夏の始まりなのでした。

 

母の日のプレゼントで40代母がとても喜ぶもの

まだ自分が母の娘だったころに母の日のプレゼント選びは、結構悩みの種でした。私の母は、あまり一般的な贈り物を喜んで受け取るタイプではなく、「こんなのがよかった」とか「あんな感じのほうがよかった」と気持ちを踏みにじるタイプの母親だったので、いつしか贈ることをやめてしまいました。

自分が母になって早10年。3番目の子供も4月から1年生になり、我が家の3人が全て小学生になりました。

先日、3人が保育園作った作品の整理をしていたところ、それぞれの子供たちが母の日にちなんで贈ってくれたプレゼントも出て来て、案の定整理の手が止まり懐かしい頃に思いを馳せていたところ、そういえばそろそろ店先に母の日のPOPが並び出す時期であることに気づきました

母の日のプレゼントを40代母が喜ぶのは何だろう?

長女が小学3年生のときに、私と親子ゲンカをして家を飛び出していき、何時間も帰ってこず、戻るまでずっとハラハラしてやっと帰ってきたかと思ったら、一輪のカーネーションを自宅からすごく離れた花屋さんで買ってきてくれていて、「さっきはごめんね。はい、お母さんに」と言って差し出してくれたことがありました。

無事に帰ってきてくれたのが一番の喜びだったし、ハラハラさせておきながらも、母の日にケンカしてしまったことを悔いていた長女の表情も、自宅に戻るまでに少ししおれていた一輪のカーネーションを手渡してくれた時の喜びと安堵感は、今でも鮮明に蘇ってきます。

母親にとって、いつどんな時も子供が元気で笑顔でいてくれるのが最高のプレゼントなので、母の日だからと特別に何かを贈ってくれなくても、十分に幸せなのですが、大切な人に贈り物をあげる楽しみや喜びもあるわけで。そんな気持ちを少し照れくさいながらも堂々とお互いが分け与えあえる日が母の日だなと。

大人になるにつれて「何か高価なものを」とか、「何か特別なものを」などと考えがちですが、世の中(特に日本)のママやお母さんは何かと気疲れしていることが多いので、高価なものや、特別なものよりも喜ばれるのは、

ゆったりと過ごす自分だけの休日

だと思いました。家(特に夫の)ことを考えなくていい1日とか最高です!子供たちが出しっ放し、つかいっぱなしのモノがきちんと元に戻されているとか、休みの日にまとめてやる部屋の掃除とか、朝・昼・晩のいずれかもしくは全部の用意とかしてもらってその間、1日フリータイムをプレゼントしてもらえたら最高に嬉しい!!!!

もしも、毎年の母の日が、こうして過ごせる1日を贈ってもらえると確約されたら、週7日1日24時間勤務で365日休みがない私たちママ業にとっての「完全有給の1日」があるということですから、喜びMAXです。

母の日のプレゼントは「時間」でいいと思う

自由な時間を与えられるのも嬉しいのですが、それだけじゃ物足りないと考えてくれるような優しい子供(や夫)たちであるならば、お母さんのくつろぎのお供は何かを聞き出すのも良いかもしれません。

ゆっくり読書を楽しみたいママならば、スタバやカフェで過ごせるようなにそれらの店のギフトカードとか、映画好きのママならば映画館のシネマカードとか。私のように、スーパー銭湯で1日過ごす至福の喜びを持っていたりする方なら、行きつけのところの回数券とか。

「母の日」だからこそ、母親としての役目をお休みできるような時間は、とても嬉しいプレセントだと思います。自分の日常圏外へ誘い出してあげるのも、素敵なプレゼントではありますが、ワーママが一般的な世の中なので、休める時はしっかりとメイクもせずダラダラとできる空間や時間が欲しいし必要です。

仲良し母娘なら、2人きりでゆっくりできる時間の過ごし方を考えるのも素敵です。

母の日がとっておきの1日になりますように…

そろそろ50代に突入する私は何でもない日常こそが既に特別だと思うようになりました。年齢は50代になったとしても、母親業に就いてからはまだ10年ちょっとの若輩者です。子供はあっという間に大きくなり、見た目だけでなく心や考え方も大人びてきて頼もしさを感じつつも、母親として子供へ十分に接してあげられたのか、良き母親としていられているのか、そんな不安を抱えていたりします。母親としての自覚はあるものの、それが子供や夫にとって相応しいのかどうか正直なところ未だに自信が持てません。

それでも、家族が「母の日」を特別な日として祝ってくれると、とてもありがたく幸せな気持ちでいっぱいになります。この日を迎えられることが、すでに特別なのです。

どうか今年の母の日がとっておきの1日になりますように^^

異動する50代男性へのプレゼントで好評だったもの

異動の季節ですね。長いこと仕事でお世話になった50代の男性が遠方へ異動することになったそうで、ささやかですが何か贈り物を渡したいなと思い立ち、ネットで色々検索してみましたが、どうもピンとくるものがなく…

そもそも、その50代男性と私の関係性が、上司と部下でもなく同僚でもなく、挨拶はするけれど一緒に食事に出かけるような気楽な間柄でもなく、かといって取っつきにくい相手でもないといった微妙な間柄です。

誤解を招くことも避けなければならないし、何か良い案はないかなと悩んでいました。

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